2012年6月20日水曜日

これが西洋人の父性!

ほんとうの母性というのは、かりに子どもが殺人罪を犯そうとも、徹底的に守ろうとします。それに対し、「いくらおれの子であろうと、悪いことをしたら必ず放りだすからな」というのが父性です。

高校の教師をしているとき、私は他の教師たちとよくフランス語の本を読んでいましたが、父性に関しては、フランスの作家メリメの『了アオーファルコーネ』という短編小説が強く印象に残っています。

十九世紀中ごろのコルシカ島での物語ですが、羊飼いのファルコーネが山に行って留守の間に、家に残った息子が、憲兵に追われて家に飛びこんできたおたずね者を、五フラン銅貨をもらってかくまいます。

ところがやがて憲兵が来て、「犯人の居場所を教えてくれたらこれをやろう」と銀時計を差しだされると、それを受けとって男をかくまっていた場所を教えてしまいます。

憲兵に引き立てられていく男は、帰宅したファルコーネに向かって、「ここは裏切り者の家だ」と毒づいて去っていきます。事実を知ったファルコーネは、息子を村はずれの窪地に連れていき、「おまえはおれの血筋ではじめての裏切り者だ」と言って銃を突きつけます。

子どもはさかんにお祈りと命乞いをしますが、ファルコーネはかまわず撃ち殺してしまいます。その子どもは、三人の女の子のあと、かなり年齢がいってからやっと生まれた一人息子で、そのときはまだ十歳でした。そして、最後に、大声で叫びとがめる妻に向かってこう言います。

「きちんと決まりをつけた。これから埋めてやる。あいつも信者として死んだんだ。ミサをあげてもらうことにしよう」

この小説を読んだときは、西洋人の父性のすごさというものをつくづく思い知らされましたが、これが西洋の父親の役割なのです。もちろん、これはいわば究極の父性で、だからこそヨーロッパでもショッキングな小説だりえたわけです。

現代のわれわれがファルコーネを称賛する必要はないし、暴力的な決着のつけ方という意味では、あまりにもプリミティブで、むしろ粗野で洗練されないやり方と言えますが、日本人はこうした父性の役割について、あまりにも知らなさすぎるように思います。