2012年6月20日水曜日

父性は、輝かしいものとして、厳然と出てこないと効果がありません。

ただ、そうした父性は、輝かしいものとして、厳然と出てこないと効果がありません。カウンセラーがそれを出すには、やはり経験を積む中での訓練が大事です。

私が大学で教鞭をとるようになったころは学生運動がさかんでしたが、こういうときにも教授側には父性的な対応が求められます。

学生たちにも、教授の父性に接したがっているところがあり、それでいろいろなことをやるわけですが、そのときに、「いや、君たちの言うこともよくわかる」などとやるから、ますます混乱してくるのです。

当時、私は学生たちに対し、「君たちのしていることはまったく理解できない」と言ったり、彼らが旗を振って怒鳴るので、こちらからも「やかましいツ」と怒鳴り返したりしましたが、どうもこのほうが評判がいい。私は一度も学生に暴力をふるわれたことはありませんでした。

昔はことさら父性をひけらかす必要のない社会でしたが、日本も文化的に変わってきて、父性を必要とする時期になってきました。

子どもたちもそれを期待する。それがあまり急に来ましたし、それまでそうした訓練を受けてきませんでしたから、先生にも気の毒な面があります。いまの校内暴力や学級崩壊などを見ていると、そういうことを強く感じます。

正しい訓練を受けてこなかったから無理もないのですが、父性の出し方を勘違いして、暴力的に振る舞う人がいますが、それは輝く父性ではなく、粗野というものです。

かつての日本の軍隊では、訓練と称して殴ったり蹴ったりしたようですが、これは父性というよりは、母性の恐ろしい面を男の腕力によって表現していると言っていいほどです。

教師の生徒に対する体罰がときどき問題になりますが、体罰と同じ厳しさ、強さを、身体を使わずに、言葉とか態度で表現できるようになることがかんじんです。それが父性を鍛えるということです。