2013年8月28日水曜日

危うい移住ブーム

それにしても、なぜ彼らは石垣島へ、あるいは沖縄へ移住するのだろう。ある地元紙が、二〇代から三〇代の人に調査すると、こんなことを言っていたという。「本土で行き詰って逃げてきた」「沖縄に行けば癒されるんじゃないか」「物価も安そう」「自分探しのためにやってきた」「自分探し」を別にすれば、動機はきわめて単純だ。というよりも、聞いてて阿呆らしくなってくる。本土で行き詰って逃げてきたって?本土でダメだったヤツが、沖縄に来て何とかなるはずないだろ。そんなに甘くはないぜ、と言ってやりたい。「癒されたい」という感覚は、移住者の誰もが抱いているように思う。渡嘉敷島で聞いた話だが、「癒されたい」女性が毎年どっと押し寄せ、移住とまでいかないまでも、長期で働く女性が少なくないそうだ。そういった女性が島の若者たちと恋愛して結婚し、いまや民宿やおみやげ屋の女将の多くは本土出身の女性だという。

数年前の三月、那覇の泊港でお茶を飲んでいたら、無性に船に乗りたくなって、気がついたら渡嘉敷行きのフェリーに乗っていた。行くあてもないので、パンフレットに載っていたホエールウォッチングに行くことにしたのだが、ウチナーグチがまったくできないガイドに、どこの出身かと尋ねたら、徳島県だと言われた。さて、意外に多いのが、物価も安そうだから生活しやすいだろうという幻想である。たしかに食料などの物価は安い。が、すべてが安いわけではない。逆に高いケースも少なくない。電車が走っていない沖縄で、自家用車以外に足となるのがバスだが、たとえば那覇市内のバスターミナルから約一七キロ離れた観光地「ひめゆりの塔」まで七九〇円。那覇から約二五キロの沖縄市までは七七〇円。東京なら新宿から新百合ヶ丘までに相当するが、小田急の電車代なら三〇〇円と半額以下である。

特に乗り換えなどがあると、かなり割高になる。先日も知念からうるま市まで行くのに、与那原で乗り換えたら1000円近くかかった。それも、乗り換えがうまく連携していないから、三時間もかかった。さらに、働くとなれば給料も安い。それでも石垣島で暮らせるだけで幸せと思えるなら、石垣島に住むのもやぶさかではないだろう。たとえホームレスになっても、気温は一五度以下にならないので凍死する心配がないだけ安心かもしれない。地元の不動産業者によれば、五、六年前から団塊の世代が土地を求めて石垣島にやってきたという。

それにしても、東京都から神奈川県に移り住むことを「引っ越し」というのに、同じ日本国内でありながら、沖縄県に移ることをなぜ「移住」というのだろうか。沖縄が本土から遠く離れていることや、本土とは違った独特の文化があることが、一種独立国のようなイメージを抱かせるのかもしれない。「移住」という言葉をよく耳にするようになったのは〇五年頃だ。本土からの移住者が、最初に求めたのが石垣島だった。石垣市都市建設課の破座真保幸さんによれば、そのために沖縄の中でも石垣島が真っ先にバブルに見舞われたそうである。「石垣島で不動産が値上がりしたのは、過去に沖縄返還後とバブル景気の頃で、今は第三の波ではないかと言われています。沖縄の知名度が上がり全国ブランド化したこと、石垣空港の建設が昨年決まったことなどがありますが、共同住宅の建設数は〇六年がピークで、〇七年から動きが鈍くなりました」肢座真さんは役人とは思えない明快なもの言いだった。

なぜ与那国島や西表島ではなく石垣島への移住だったかというと、ここが大病院のある最南端だったからである。本島と同じで、石垣島でも彼らが求めたのはやはり「夕陽」と「海」であったため、島の北西部にある米原、山原、吉原といった、いわゆる「裏石垣」に集中した。島を時計回りに、川平湾から米原に向かうと、小高い丘に都会風の家並みが突然あらわれる。高台に立つと、海が一望に見渡せるのだが、あいにく私か訪ねた日は曇天だった。天気さえよければ、燦めく海に沈む夕陽は一幅の絵になるという。「夏にそんな光景を見たら、衝動的に買ってしまうね」