2014年9月2日火曜日

基軸通貨国アメリカの金融規律のなさ

その背景に、アメリカが九〇年代半ばから生み出した巨大な過剰流動性がある。アメリカの経常赤字と財政赤字をファイナンスするために、アメリカへの世界からの資本流入が必要であった。いわば、ドルをばらまいてアメリカは世界中から借金をしたのである。その絶好の道具がアメリカ発の証券化商品であり、企業貸付関連商品だったのである。それを世界中に買わせて、その後で価格が暴落した。それは結果として、アメリカという国全体としては、巨額の借金棒引きをさせたようになっている。

もちろん、その代償としてアメリカの税金を使ってアメリカの金融機関の救済に乗り出す必要がある。しかしそれとても、二〇〇八年一〇月一四日のブッシュ大統領の声明では当面の資本注入が二五〇〇億ドル、救済全体で七〇〇〇億ドルという。欧州諸国が用意しているという資本注入が約三七〇〇億ドル、救済全体で二兆三〇〇〇億ドルという金額よりかなり小さい。銀行への資本注入が金融危機に陥った国で必須となるのは、一九九七年の日本と同じ理由である。銀行は、一国の金融システム、とくに決済システムを預かっている。それが崩壊すると、貨幣を媒介に取引する市場経済そのものが崩壊する。

だから、銀行にとって決済システムは、銀行の社会への貢献であるがゆえにいわば政府に対する人質にもなっている。そこで、最後には政府の救済が出てくるのである。おそらく、そういう基本性格を持った銀行産業を市場原理で徹底的に動かそうとすること自体に、無理がある。政府の規制がもっと強力に入らざるを得ない産業なのである。基軸通貨国アメリカの金融規律のなさに、あるいはその国の金融機関の規律のなさに、そしてその規律のなさを世界にばらまく市場原理主義に、世界が振り回されている。その揚げ句、欧州の方がアメリカより巨額の資本注入などの救済をしようとしている。それはあたかも、銀行を政府の強いコントロールの下に置こうとする、欧州の意図の表明のように見える。

資本市場は、あるいはそもそもカネというものは、下手をすると暴力装置にすぐ変わる。バブル期の日本がそれを経験した。今、世界がそれを経験している。日本のチャンス、しかしアメリカもしたたか「ジタバタするな。日本のチャンスがきた」二〇〇八年一〇月下旬に都内で開かれたあるシンポジウムでの、私の総括コメントである。シッポ自体は私の所属する大学院主催の「技術経営の力学」と題するもので、日本経済の将来を考えることがテーマではなかった。しかし時節柄、金融危機に関するコメントを最後にしたのである。

たしかに、日本の株価の大幅下落が衆議院の解散のタイミングすらも左右していることを思えば、シンポ会場に不安感が漂っていたのは仕方がないのかもしれない。事実、世界の主要国の株式市場の一〇月の月間株価下落率で二〇%以上下がった国を下落率の大きい順にならべれば、ロシア、ブラジル、中国、ベトナム、インド、日本、韓国、となる。つまり、株価の下落率で見る限り、日本は新興国市場と同じグループに入る。それを日本経済の脆弱性の表れと見るか、日本の株式市場の投機性の表れと見るか。