2013年7月4日木曜日

インフレ誘導

本当に雇用に関する規制緩和の理念を信じているのであれば、相対的に給与の高い中高年やOBの処遇をこそ流動化させるはずなのです。消費性向の低い中高年が貯蓄として死蔵していくことになる部分を優先的に守り、もともとお金のかかっていない現場の若者の雇用の部分だけさらに搾り上げるというのは、実はウェットそのものです。こういう日本的な部分まで自分のせいにされてしまっているアメリカもいい面の皮ですね。マクロ政策では実現不可能な「インフレ誘導」と「デフレ退治」「生産性上昇により人口減少に対処」「経済成長率至上主義」と並べて疑問を呈しておきたいのが、マクロ政策による「インフレ誘導」、あるいはそのマイルド版である、マクロ政策による「デフレ退治」です。前者は、所得が一部富裕層の貯蓄として蓄積するばかりで消費に回らないことを問題視し(それ自体は正しい認識ですが)、ある程度のインフレ状態(物価の上昇)をもたらすことで、「貯金がインフレで目減りする前に使ってしまおう」という行動を喚起しようとするものです。これを主張する方々が「リフレ論者」です。

そうできたら本当にいいですよね。でも「インフレ誘導」というのは、どうやったらそういうことになるのか道筋が見えない提言です。これは「生産年齢人口減少・構造的な供給過剰・商品・サービスの単価低下」という現象が続いている日本において、「余っているものでも何でも値段が上がる」という状況を作るということですよ。たとえば標準価格米の古米でも値段が上がるというような事態を何らかの手段で実現できると、本気で唱えていただかねばならないことになります。その際に、「日銀が金融緩和をして貨幣供給を増やせば物価は上がる」というようなナイーヴなことをおっしやっても説得力はありません。日本が実質的なゼロ金利状態になってから十数年、景気の悪かった時期はともかく「戦後最長の好景気」だった〇七年にも、その中でも個人所得の大幅な増加が起きた〇四-〇七年においてさえ、一向にインフレ傾向にならなかったということを、どうお考えなのでしょうか。

その理由が、所得が高齢者の貯蓄に回ってしまったことと、生産年齢人口減少・構造的な供給過剰にあることは、すでに延々と説明してきた通りです。この高齢富裕層ときたら、金融資産が〇八年の一年間で一一〇兆円、七%も目減りしたというのにまったく実物消費をしようとはしなかった(実際問題その間も小売販売額は増えていません)、筋金入りのウォンツ欠如、貯蓄=将来の医療福祉負担の先買い死守、というマインドの連中ですよ。仮に「インフレ期待」が醸成されたとしても、じっと耐えて金融資産を抱えるだけなのではないでしょうか。

話を簡単にするために、「生産しているのは車だけ」という国を考えましょう。その国では、ベビーブーマーが高齢者になって退職する一方で子供が少ないために生産年齢人口がどんどん減っており、車は全自動化ラインでロボットがどんどん製造できるのですが、肝心の車を買う消費者の頭数が減ってしまっています。結果としてメーカーには大量の在庫が積み上がり、仕方ないので折々に採算割れ価格で叩き売って処分されているものとしましょう。当然その国のマクロ論者からは「わが国はデフレである」という解釈がなされますね。ではその国の政府が札をどんどん刷れば、車の叩き売りは行われなくなって販売価格は上がるのでしょうか。

答えは、仮に政府が刷ったお札を公共事業か何かでどんどん使って国民にばらまいたとしても、それを受け取った国民が車を買う台数には生産年齢人口減少という制約がかかってくるので(もう車を十分に持っている人は車ではなく何か他の製品を買うので、やっぱり車はそうそう売れないのです。何か他の人気商品の価格は上がり、結果として総合指標である「物価指数」も少しは上がりましょうが、国の主要産業である車産業の製品価格が低迷を続ける事態には何ら変わりがありません。車だけではなく、住宅でも、電気製品でも、建設業でも、不動産業でも、およそ戦後の生産年齢人口激増期に潤ってきた多くの主要産業が、同じように顧客の頭数の減少・需要の減少というミクロ要因に悩んでいる日本の状況はこのたとえ話と本質的には同じです。