2014年12月2日火曜日

規制緩和を行なう必要性

これに対処するのに、政府がビジョンを描いたり、補助金を与えたりする必要はない。新しい活動は、民間の創意によって生まれるものだからだ。要は、それを阻む障害を除去することである。伝統的な形態の経済活動を保護するためにさまざまな規制が加えられているため、新しい技術の潜在力が発揮できない場合が多いのである。

とくに問題となるのは、料金規制と新規参入規制だ。ネットワークを用いれば飛躍的なコスト引き下げが可能になる。しかし、料金規制があれば、そのメリットは利用者に届かない。また、米国の実例にみられるように、ネットワークビジネスは、当該分野の既存企業が手がけるよりは、新規参入する部外者によって切り開かれる場合が多い。しかし、参入規制があれば、それが実現できない。

株式取引については、ネットワークの利用によって、手数料を従来の数分の一に引き下げることが可能となる。一で述べたように、米国では新規参入企業によるネットワーク取引がめざましい成長を遂げている。これに対して、日本では、これまで証券業は免許制で参入が自由でなく、また手数料も大口しか自由化されていなかったので、さほどの変化が生じなかった。

ただし、これについての状況は大きく変化している。免許制から登録制への移行はすでに実現している。また、九九年の秋には、手数料が完全に自由化される。これらによって、オンライン取引の条件が、日本でも整うだろう。しかし、その他の分野では、条件は必ずしも整っていない。ネットワーク取引を促進させるには、以下の分野を中心として、規制緩和を行なうことが必要だ。

書籍については、ネットワークを用いる通信販売によって、大幅なコスト引き下げが可能となる。このメリットを消費者に還元するには、再販制についての検討が必要だ。これについては、公正取引委員会が、「今世紀中に結論をうる」としている。最近の技術進歩を考慮し、このスケジュールを前倒しして検討を急ぐ必要があろう。

2014年11月3日月曜日

日本道路公団職員の不具合

官僚は「通達」を勝手に出して、自分たちの利益に利用できる。道路サービス施設について「一括して同一の占用主体に占用を認めるものとする」とした六七年の道路局長通達は、まさにこのような官僚のツールとして使われたのである。財団・道路施設協会はこの通達で道路公団から「占用権」のお墨付きを得て、SAやPAの独占的事業に乗り出すが、その際二つの仕掛けが使われる。

一つは、同財団が日本道路公団職員の互助会だった「厚生会」の資本を元手に設立されたことだ。そして建設事務次官か国土庁事務次官が天下る道路公団総裁の退任後に、財団理事長のポストがあてがわれた。特殊法人・日本道路公団が「資本」と「役員」を送り込んで業務を独占する財団をつくり、利益を独り占めする構図ができ上がったのである。

もう一つの仕掛けは、同財団が、自ら出資した直系の子会社・関連会社とだけ随意契約して独占的利益を山分けしたことである。道路施設協会が先の二財団に分割される前の九七年当時、同協会の出資関連会社は実に六七社にも上った。このうち五八社の代表者が日本道路公団もしくは建設省出身者で占められ、深刻な不況にもかかわらず、独占的契約のおかげでわずか一社を除く六六社が経常利益を計上している(九六年三月期決算)。

つまり、日本道路公団が九三年以降、国庫(道路整備特別会計)からの補助金・出資金が急増大し、財投資金(郵貯、公的年金積立金、簡易生命保険積立金など)からの累積借金が当時二一兆円にも膨らんでいたのに、子会社ともいうべき道路施設協会とその関連会社は「不況どこ吹く風」とばかりに好景気を謳歌していた。特殊法人の経営は借金だらけで巨額の税金を注ぎ込んでいるのに、直系の財団とその関連会社は国民の与り知らないところで大いに潤っていたのである。

2014年10月2日木曜日

美容室は社交場

美容界は戦後、日本の高度経済成長を背景に目覚ましい変化を遂げました。でもその礎は、戦前にできていたんです。「ハリウッドビューティサロン」の前身である美容室「メイズサロン」が神田三崎町に開店したのが一九二五年です。「ハリウッド美容室」と改名して銀座七丁目に登場したのが二年後、銀座全盛の時代でした。私かここで美容師として働き始めたのは、三〇年ごろアメリカから輸入された技術が導入された時期です。銀座では、山野千枝子さんや早見君子さんら一流の美容師が腕を競い合っていました。ヘアやメイクのお手本は主にアメリカ映画でしたから、仕事を終えると映画館に大急ぎで繰り出しました。

日本ではそれまで、メイクは花嫁さんの白塗りだけでしたが、そのころには上流階級の婦人たちが、コティ、ウビガンなど、ヨーロッパの化粧品を手に入れてメイクを始めていました。日本にはヘチマ水とバニシングクリームくらいしかない時代です。「ハリウッド美容」では、近くの美容講習所の片隅で洗濯せっけんを削ってシャンプー剤を作ったり、マッサージ用のコールドクリームを洗面器で煮たりしていました。銀座の美容室は社交の場でした。女性たちはいい振り袖を着たり、冬はシルバーフォックスのストールを何本も巻いたりして集まりました。髪や顔に磨きをかけてダンスホールなんかに出かけていくんですから、当時の上流婦人たちは、今よりずっと贅沢でしたね。柳が揺れる銀座通りを、そんな女性たちが閥歩して、浴衣姿の女性が、うちわであおぎながら涼んでる。まるで絵巻物のような風景でした。そのころよく見えたのが”国境を越えた恋の女優、岡田嘉子さんでした。パーマをかけた第一世代ですね。

三五年からは、「ジュン牛山」という名で銀座の店を任され、雑誌や新聞にヘアスタイルやメイクを発表するようになりました。和服が好きなので、奇抜な発想のデザインや着付けも次々に発表しましたが、和服は伝統の世界ですから批判も受けました。目元にポイントを置いたメイクが盛んになり、まつげをカールさせることが流行していました。三七年には国内で初の「マスカラ」を発売、商標登録しました。若手美容師として、また時代のファッションリーダーとしても、怖いものなしでした。美容室も大阪、名古屋、福岡などに支店を出すまでになりましたが、戦争の激化で、おしゃれは禁止の風潮が色濃くなりました。

国民運動の標語になり、ヘアスタイルも「カールは前三つ、後ろは一つまで」というお触れが出ました。四二年になると英語が禁止となって、「ハリウッド」という名前はいけないというので、「牛山美容室」と改めました。やがて店内のパイプイスまで金属供出するような時代になり、使っていた美容師たちを親元へ帰し、四四年に全店閉鎖ということになりました。子供時代の一番の思い出は、塩の上で遊んだことです。雪の上を歩くような感触でしたね。山口県防府市の生家は大きな塩田を営んでいました。三十人以上の男衆が働いていて、朝鮮半島から来た人が多くいましだ。大きな釜でニガリを煮出す様子などを見て育ちましだから塩の作り方は詳しいですよ。でも、父の記憶というのはほとんどないんです。

三歳のころ、腸チフスがはやって姉と私以外の家族全員が感染してね。私は親類に預けられました。ある夜、そこのおばあさんに促されて外へ出ると、遠くの山に、かがり火のような灯が燃えているんです。「あの灯に向かって手を合わせて拝みなさい」と言われて、そうしたのを覚えています。それが父の弔いの火でした。母は助かりましたが、二十八歳で幼い四人の子を抱えて未亡人です。しばらくは塩田経営を続けましたが、二里(八キロ)ほど離れた実家に私たちを連れて帰りました。父の弟が、「二人なら子供を引き取る」と申し出たそうですが、母は一人も手放せず、自分で育てることにしたそうです。

2014年9月2日火曜日

基軸通貨国アメリカの金融規律のなさ

その背景に、アメリカが九〇年代半ばから生み出した巨大な過剰流動性がある。アメリカの経常赤字と財政赤字をファイナンスするために、アメリカへの世界からの資本流入が必要であった。いわば、ドルをばらまいてアメリカは世界中から借金をしたのである。その絶好の道具がアメリカ発の証券化商品であり、企業貸付関連商品だったのである。それを世界中に買わせて、その後で価格が暴落した。それは結果として、アメリカという国全体としては、巨額の借金棒引きをさせたようになっている。

もちろん、その代償としてアメリカの税金を使ってアメリカの金融機関の救済に乗り出す必要がある。しかしそれとても、二〇〇八年一〇月一四日のブッシュ大統領の声明では当面の資本注入が二五〇〇億ドル、救済全体で七〇〇〇億ドルという。欧州諸国が用意しているという資本注入が約三七〇〇億ドル、救済全体で二兆三〇〇〇億ドルという金額よりかなり小さい。銀行への資本注入が金融危機に陥った国で必須となるのは、一九九七年の日本と同じ理由である。銀行は、一国の金融システム、とくに決済システムを預かっている。それが崩壊すると、貨幣を媒介に取引する市場経済そのものが崩壊する。

だから、銀行にとって決済システムは、銀行の社会への貢献であるがゆえにいわば政府に対する人質にもなっている。そこで、最後には政府の救済が出てくるのである。おそらく、そういう基本性格を持った銀行産業を市場原理で徹底的に動かそうとすること自体に、無理がある。政府の規制がもっと強力に入らざるを得ない産業なのである。基軸通貨国アメリカの金融規律のなさに、あるいはその国の金融機関の規律のなさに、そしてその規律のなさを世界にばらまく市場原理主義に、世界が振り回されている。その揚げ句、欧州の方がアメリカより巨額の資本注入などの救済をしようとしている。それはあたかも、銀行を政府の強いコントロールの下に置こうとする、欧州の意図の表明のように見える。

資本市場は、あるいはそもそもカネというものは、下手をすると暴力装置にすぐ変わる。バブル期の日本がそれを経験した。今、世界がそれを経験している。日本のチャンス、しかしアメリカもしたたか「ジタバタするな。日本のチャンスがきた」二〇〇八年一〇月下旬に都内で開かれたあるシンポジウムでの、私の総括コメントである。シッポ自体は私の所属する大学院主催の「技術経営の力学」と題するもので、日本経済の将来を考えることがテーマではなかった。しかし時節柄、金融危機に関するコメントを最後にしたのである。

たしかに、日本の株価の大幅下落が衆議院の解散のタイミングすらも左右していることを思えば、シンポ会場に不安感が漂っていたのは仕方がないのかもしれない。事実、世界の主要国の株式市場の一〇月の月間株価下落率で二〇%以上下がった国を下落率の大きい順にならべれば、ロシア、ブラジル、中国、ベトナム、インド、日本、韓国、となる。つまり、株価の下落率で見る限り、日本は新興国市場と同じグループに入る。それを日本経済の脆弱性の表れと見るか、日本の株式市場の投機性の表れと見るか。

2014年8月5日火曜日

ユーザーから感謝される仕事

また、保守業務はSEの仕事としては珍しく、一般ユーザーから感謝される仕事である。通常、コンピューターシステムの開発業務は、実現するシステムの機能をめぐって、実際にシステムを使用するエンドーユーザーときびしい駆け引きをおこなうので、エンドーユーザーの反感を買うことはあっても、あまり好意的な目で見られることはない。

保守業務はかな旦畢情が異なる。実際にいまエンドーユーザーが使用中の大事な本番システムの面倒を見ているのであって、いわば既存システムのガードマン的な役割を果たしている。エンドーユーザーは何か操作上の疑問点があれば、保守業務担当のSEに質問するし、機能的な改善要望があれば同じく保守業務担当SEに提示する。なによりも、いざシステム障害など重大な問題が発生したら、それを解決できるのは保守業務担当のSEだけなのである。つまり、エンドーユーザーは日々の仕事のなかで、保守業務の要員をあてにし、頼りにし、信頼しているのである。

実際、システムの問題発生時には、SEはエンドーユーザーに対して復旧までのあいだの臨時措置を指示したり、復旧の目処を連絡したり、復旧後の事後処理を指示したり、何かとユーザーに対する窓口になる。だから、エンドーユーザーにとってみれば、復旧作業にあたるSEは、大げさに言えば、救世主にさえ見えてくる。保守業務の担当SEはそれほどユーザーにとってありかたい存在なのである。

SEなら誰しも思うことだが、エンドーユーザーに喜んでもらうことほどうれしいことはない。どんな開発プロジェクトでも、最終的にはユーザーの便宜を図ることを目的としている以上、ユーザーからの評価と感謝こそがSEにとって最大の賛辞になる。だが、実際にはユーザーの要求を一〇〇パーセント満たすシステムを作ることはまず不可能だ。だから、必ずユーザー側には不満が残る。それがしこりとなって、新しいシステムがスタートしてもSEがユーザーの満面の笑顔で報われることは少ない。だが保守業務では、そのユーザーの評価と感謝を肌身で感じることができるのである。保守業務の最大の醍醐味はここにあるのかもしれない。

保守業務においてモチベーションを維持することのむずかしさは、すでに述べたとおりだ。多くのSEは、保守業務に回されたとたん、モラルが低下し目標を見失う。そして日々の業務に埋没し流されていってしまう。このようなSEは、お世辞にもかっこよいとは言えない。だが一方で、同じ保守業務にありながら、きわめてクールな(粋な)SEもいる。これこそ真のプロフェッショナルである。

2014年7月15日火曜日

議会制民主主義の否定

同じころ、小沢は非自民政権の首相候補として細川を説得する。そして一九九三年七月二三日、さきがけの武村正義と日本新党の細川護煕は、小選挙区比例代表並立制を中心とする政治改革のための政権樹立のよびかけを、共産党を除く各党に行う。ここで、社会党が歴史的な決断に踏み切る。

宮沢内閣時代、社会党は小選挙区制には、議会制民主主義の否定につながるという理由で強く反対してきており、妥協するとしても比例代表併用制というのが大勢だった。社会党に不利な小選挙区比例代表並立制を受け入れてでも、非自民政権を樹立すべきか、あるいは自民党を中心とした連立政権が誕生しても構わないのかどうか、党内の議論は割れた。結局、政治の大状況を無視して理想論ばかりいっていてもすべてを失うことになるという執行部の意見が通って、比例並立制を了承することになる(久保亘「連立政権の真実」)。

ここでいう大状況とは、たとえ社会党と共産党が小選挙区比例代表並立制に反対するとしても、自民党を含めて各党は、小選挙区制自体には賛成なので、自民党を中心とした政権が発足してしまうかもしれないが、それでもよいのかということである。

結局、当時の山花委員長は、不満だが、小選挙区比例代表並立制を受諾し、非自民政権を誕生させるという決断を行う。旧竹下派の分裂と羽田グループの自民党離党、武村の離党などに加えて、こうした一連の決断と偶然がなければ、細川政権の誕生はなかったということになろう。

しかし、一選挙区から一人しか当選者を出せない小選挙区比例代表並立制は、はたして社会党そのものの存在を脅かすことになった。それは、一九九三年の総選挙で七〇議席を確保した社会党が、新制度で行われた九六年の総選挙では、比例区を含めてわずか一五議席にとどまったことからも明らかである。社民党自身が新党結党に失敗したこと、社民党の政策が小選挙区で第一位の支持を受けるほどのものではなかったこと、民主党への移籍組が続いたこと、などを考慮したとしても、あまりの議席減であった。非自民政権のための決断は、結果的に、決断した政党を弱体化させたのである。

2014年7月1日火曜日

特定金銭信託

委託者がおカネを信託するときに、その運用を細かく定めるものをいいます。この場合信託会社は、信託の契約をするときにお客にいろいろ助言はするが、いったん信託を引き受けてしまえば、あとは委託者の指図した通りに運用するだけです。たとえば、Aという会社に金利は年七%で三年間おカネを貸すとか、Bという会社の株式を一株三百円で一万株買うといったように運用方法が決められているので、信託会社はその通りに運用しなくてはなりません。

そして銀行などの金融機関の金利は、法律や申し合わせによって大体一定していまナが、特定金銭信託はこの制限外になっていて、うまくいけばもうけも大きい代わりに、指図通りに運用して損しても、信託会社には責任がないことになっていますし、万一元金が返らない場合は、運用した形のままで(たとえば貸付金債権とか株式とか)、受益者に引き渡して信託を終了することも認められています。

したがって特定金銭信託の場合、信託財産の運用がうまくいくかどうかは、全く委託者がどんな指図をするかにかかっており、信託会社は助言をする程度で活躍する余地はほとんどありません。このため、特定金銭信託を利用しようとする人は、貸し出しとか株式投資についてかなりの知識と経験が要り、運用先ともある程度話し合いがっいていることが必要です。このような事情から、特定金銭信託を利用するのは、戦前からごく少数の人に限られていました。

ところが、昭和五十五年になって金銭の信託について法人税法基本通達で有価証券の簿価分離が認められたことから、各企業や金融機関が余資運用のために急速に特定金銭信託を利用し始めるようになりました。簿価分離とは、委託者がもともと持っている有価証券と、金銭の信託の中で持っている有価証券が同一銘柄であっても簿価を通算する必要はなく、委託者は金銭信託の受益権として会計処理すれば良いということです。

これによって、金銭の信託を使えば機動的な有価証券投資ができることとなり、運用能力のある生命保険会社や都市銀行などの機関投資家の問で有価証券投資を目的とする大口の特定金銭信託の利用が一気に進んだものです。これが新聞の証券欄で「株式特金」さらに略して「株特」といわれるものです。さらにこの特定金銭信託を応用したものとして、券面より安い価格で買った債券の償還差益を前倒しで会計処理し、毎年の利回りを上げるもの(アキュミュレーション)や、委託者が運用の指図権を投資顧問会社に委任するものなどもあります。

2014年6月16日月曜日

学ぶべき現実感覚

もちろんこれに対してジャーナリズムは客観性よりも、批判と解釈とを重視すべきであるという意見もある。それは客観的中立性という、ジャーナリズムの政治的責任を批判して、むしろ変革のために政治に積極的に介入することを理想とする考えである。しかしながらこのような政治的ジャーナリズムは、大規模なマスーコミュニケーションのメディアとして、止まろうとする限り結局、客観性という職業規範に戻らざるを得ないであろう。

すなわち今日のマス・メディアは、意見の異なる多数の読者や視聴者を相手にしなければ経営が成り立たない。従ってマスーメディアは多くの異なる読者が、比較的客観的であると考えるような内容を持だなければならないであろう。またメディアの流すニュースが、現実をゆがめるものである場合、その現実に直接触れることのできる人々は、客観性をゆがめたジャーナリズムを二度と信用しないであろう。こう考えると現代の社会において、唯一の可能なジャーナリズムの形態は、やはり科学的方法に基づいた客観的報道という、ゲイトキーパー型のジャーナリズムということになる。

こう考えると社会科学とジャーナリズムとの問には、方法論上の根本的な相違はないと言わなければならない。両者の間の相違は客観的な報道という厳しい仕事を、大学の研究者と異ってジャーナリストは、きわめて短い時間のうちに処理しなければならないことである。しかもこの職業は現実の政治的状況のなかにあって客観性を保たなければならない。このように困難な仕事の責任を持ったジャーナリストは、公衆に奉仕する公僕としての性格を、持っていると言わなければならないだろう。

もし社会科学の研究者が、このようなジャーナリストに学ばなければならないことがあるとしたら、それはやはり日々の世界の勁きに神経をとがらせている、彼らの現実感覚ではないだろうか。研究者の研究のサイクルは方法が厳密になれば自然に長くなる。現実との接触も薄くなる。しかし研究者とジャーナリストは、彼らの研究のサイクルが違うとはいえ、結局両者は、同じ科学的研究の方法を駆使する、経験的世界の研究者に他ならない。この両者が互いにその長所をとり短所を補い合う関係こそが、一つの社会の文化の創造には、欠くことのできない条件なのである。

2014年6月2日月曜日

金日成主席の死去

金日成主席の死去より数年早い時点から深刻化したらしい北朝鮮の食糧事情に関しても、飢餓寸前だという情報がここ数年にわたって伝えられ、それにしては北朝鮮の国内で大量の餓死者が出ているという、推測はあっても確たる情報もなく、国連や米国、韓国などが行っている食糧援助も、それを必要としている一般国民にちゃんとわたっているという話もあれば、援助食糧は全て軍の戦時備蓄に回されているという情報もあり、実状は定かではない。

時折、国連や外国政府関係者、外国メディアが北朝鮮の国内に入る機会はあっても、彼らが見聞できるのは、ごく一部の場所、人、施設などで、その情報はきわめて断片的である。つまるところ、北朝鮮国内の実状に関しては、膨大な数のジグソーパズルのほんの少しのヒースを、あちこちにばらばらに置いている状態にすぎず、それで全体を把握するのはとうてい無理という状況にある。

このような、内情がよく分からない場合、その国が対外的に何をやってきたかという実績から、今後の進む方向を推測する方法が採られるが、北朝鮮の過去の外交実績は、常識では計り知れない部分が非常に多い。一九八三年のビルマ(現ミャンマー)における、韓国全斗煥大統領一行の爆殺計画(東南アジアで唯一の親北朝鮮国であったビルマを敵に回してしまった)や、一九八七年の大韓航空機爆破事件(これでソウ万オリンピックが中止に追い込めると考えたらしい)、そして一九九六年九月の小型潜水艦による偵察員上陸事件(潜水艦が座礁して発覚したが、その潜水艦は北朝鮮の羅津・先鋒自由経済貿易地帯への外国投資を促す国際会議を開催している最中に出撃している)などは、いずれも北朝鮮はその関与を否定したり、単なる事故であると主張するものの、このような行動を実行する理由が理解に苦しむ。要するに、北朝鮮は何をするか分からない、と考えざるを得ない。

これは、安全保障にとって最も好ましくない状況である。情報が無いうえに、相手の行動の常識的予測ができないとなると、周辺諸国は常に最悪の状態を想定して備えておかねばならない。その警戒が杞憂であろうがなかろうが、警戒されている当の国から見れば、周辺諸国が戦闘態勢を整えていると映り、その国も警戒して、いっそう軍備を増強し、戦闘準備を整えるという悪循環に陥りかねない。

こうなると「卵が先か鶏が先か」の議論ではあるが、相手の出方、状況が分からない以上、最悪の場合を想定するのは安全保障の見地からは当然である。「だから、相手が警戒しないように、こちらがまず最悪の事態を考えることをやめるべきだ、そして、まずこちらから軍備を解くべきだ」というのは無責任な議論で、それで相手が無理難題を押し付けてこないという保証は何もない。「北風か太陽か」ではなく、最悪の状態に備えながら太陽を当てるようにするというのが、安全保障と外交の役割であろう。

2014年5月22日木曜日

カテゴリーの定義

概念が修正されるということはサーチライトの光が増えたり、角度が変るということに他ならない。すなわちサーチライトの光が変ることによって、今まで見えなかった暗闇が照らし出され、新しい「事実」が認識されるのである。言いかえれば「残余カテゴリー」という暗闇が、新しい「概念」によって照らされて「事実」に変化するのである。そして読者が既に気づいておられるように、この概念の修正、さらには新しい概念の創出こそ、人間の知的創造にとって、きわめて重要な働きなのである。

さて実際の研究の過程において特定の「概念」は、研究者が「何を観察すべきか、その一般的定義を与えているということができる。しかし一口に定義を与えるといっても、概念の種類によってその定義の与え方には、いろいろな相違があるであろう。たとえば社会の研究で使用される重要な概念の一つに「性別」がある。言うまでもなく男女の別は人間の社会における役割について、あるいは意見や行為の型について、様々な相違を生み出している。しかし「性」を区別するのにわれわれはなにをどう観察するのか。その観察についてどういう定義があるのか。

オリンピック競技などにおいては、女性と男性との区別について、細かい医学的定義があるのであろう。しかし今のところ社会の研究においては、「性別」について何を観察するかの定義は、常識にまかせられている。近頃は日本でもアメリカでも、後姿だけ見たのでは男性か女性かの区別のつかない若者が増えてきた。しかし世論調査の調査員は質問を開始するに当って、「あなたは男ですか、女ですか」などという間の抜けた質問は発しないであろう。もし調査員が、このような質問をしなければならないとしたら、それはよほど特殊なケースであろう。

けれども社会の研究における基本的な概念でも「学歴」となると、話は「性別」より面倒になってくる。「学歴」とは一般には「教育水準」のことであろう。これに加えて「出身校」「学位」、さらには在学中の「成績」についても、考慮しなければならないかもしれない。仮に「学歴」を「教育水準」としてこれを具体的に観察するには、「小学校入学から数えて何年間」という基準を、用いる場合もあるだろう。また「高校卒」「大学卒」と分類する場合もあるだろう。また「高、中、低」の三段階に分ける時もある。

このように実際の分析に役立つような観察を行うには、あらかじめ観察についてのカテゴリーを、具体的に「定義」しておかないと混乱が生じる。さらに「社会的地位」とか「政治的地位」というような、比較的ありふれた概念でも、いざ定義を下してなにを観察するかということになると、かなり複雑な問題になってくる。たとえばバークレーのカリフォルニア大学で、博士論文のテーマとして私は日本の政治エリートの問題を選んだ。万延元年から、昭和四十四年までの約百年間における、日本の近代化の過程に現れた政治エリートの特徴と変化を、調べようとしたのである。私はこれらの政治エリートの社会的背景や政治的経歴を分析することによって、日本の近代化の特徴を、明らかにしようとしたのであった。

2014年5月2日金曜日

一人ののぞき見から・・・

人間の心のなかには、新奇未知なものを、知ろうとする働きがあり、これによっていままで、数かぎりない発明や発見がもたらされている。

しかしながら、人間のもつ何かを知りたいという心の働きが、つねに、プラスの側面にだけあらわれるとは限らない。単なるのぞき見的なものであることも多い。

しかも人間は誰しも多かれ少なかれ、やじ馬的要素をもっているもので、そうした好奇心がマイナスの側面に働いてしまうこともまぬかれえないことである。

大道で人だかりがしていると「なんだろう」とのぞいてみたくなることがよくあるが、実際にのぞきこんでみると「なんだくだらない」ということは誰しも経験することであろう。

知ってしまうと「なんだあんなことか」とがっかりすることが多いが、知るまでは、何事に対しても好奇心をいだくのが人間の心理である。しかし、時としてたった一人の気まぐれなのぞき見的な気持ちが、大きな群集にまでふくれあかってしまうことがある。

群集も一つの集団ではあるが、組織的にできあがったものではなく、ただ、ゆきずりの互いに一面識もない人たちが、単なる偶然によって一つのかたまりとなったものにしかすぎない。

しかしながら、群集の示す行動様式は、他の組織的な集団と比較していろいろな特徴がある。俗にいう「群集心理にかられる」という表現があるが、ひとたび、個人が群集の中にまき込まれてしまうと、いままでとはまったく異なった行動様式を示すようになる。

この行動様式は、ふつう、いつもは抑圧されたり、禁止されたりしているものが、ベールをはがしたように、表面にあらわれて、本能的感情そのままに行動するようなものであることが多い。たとえば、交番に向かって石を投げたり、競輪場でベンチに火をつけたりというような暴発的なものであったりする。

これは、群集という特異な集団は、なんら組織だったものではなく、ゆきずりの人たちが、ただ偶然に集まったにすぎぬ場合が多いので、自分の行動に責任をもたないばかりか、自分一人だけでないという心強さがてつだって、ふだんは抑圧されているものが理性を越えて、本能的行動にかりたててしまうのである。

2014年4月17日木曜日

失業と飢えの恐怖

話を本筋に戻すと、いまや「ヒラの人たち」が、心中の不平不満・うらみつらみを心おきなく言動に表わすことができるのは、「いやなら辞めてくれ」と言われれば、「はい、辞めます」と言って、さっさと辞めればいいからである。「完全雇用」で人手は不足気味だから、探せばほかに職はいくらもあるし、あわてて職探しをせず、しばらくは社会保障にぶら下がって食いつなぐ手もある。そういう力関係の変化があるから、上役のほうも、「いやなら辞めてくれ」などとは、すぐには言いにくいかもしれない。

こうして、「失業と飢えの恐怖」の消滅は、「規律の終焉」をもたらす。すなわち、それまでは「恐怖」の「脅し」によって、かろうじて抑えつけられていた「ヒラの人たち」の不平不満・うらみつらみが、「脅し」が効かなくなった結果、もろに表面化する。それは、言わば「『ヒラの人たち』の反乱」だろう。

何年か前から、イギリスなど先進諸国が直面する諸困難について、「先進国病」ということがしきりに言われる。この先進国病の本質は、まさに「『ヒラの人たち』の反乱」にほかならないのではないかと考えられる。カールーマルクスはそれを「階級闘争」と呼び、みずからの経済学の中心に据えた。

その指摘は、まさに本質を衝いていた。共産主義の崩壊後、マルキシズムはあまりに過小評価されているのではないかという感じが、私にはしきりにする。なおアメリカについては、先進国病という言葉はあまり使われないが、人種問題もからんで、状況は似たようなものだろう。

「ヒラの人たち」は、企業にとっては、さらに社会全体から見ても、人体にたとえれば、「足腰」「手足」に相当し、「人の上に立つ人」は、「頭脳」に相当する。軍隊で言えば、「ヒラの人たち」は下士官・兵卒に相当し、「人の上に立つ人」は士官・佐官・将軍に相当する。かりに「頭脳」がいかに優秀でも、「足腰」「手足」がしっかりしていなければ、人体は動かないし、がりに将軍等がいかに優秀でも、下士官・兵士が頼りなくては、軍隊は戦えない。