人間の心のなかには、新奇未知なものを、知ろうとする働きがあり、これによっていままで、数かぎりない発明や発見がもたらされている。
しかしながら、人間のもつ何かを知りたいという心の働きが、つねに、プラスの側面にだけあらわれるとは限らない。単なるのぞき見的なものであることも多い。
しかも人間は誰しも多かれ少なかれ、やじ馬的要素をもっているもので、そうした好奇心がマイナスの側面に働いてしまうこともまぬかれえないことである。
大道で人だかりがしていると「なんだろう」とのぞいてみたくなることがよくあるが、実際にのぞきこんでみると「なんだくだらない」ということは誰しも経験することであろう。
知ってしまうと「なんだあんなことか」とがっかりすることが多いが、知るまでは、何事に対しても好奇心をいだくのが人間の心理である。しかし、時としてたった一人の気まぐれなのぞき見的な気持ちが、大きな群集にまでふくれあかってしまうことがある。
群集も一つの集団ではあるが、組織的にできあがったものではなく、ただ、ゆきずりの互いに一面識もない人たちが、単なる偶然によって一つのかたまりとなったものにしかすぎない。
しかしながら、群集の示す行動様式は、他の組織的な集団と比較していろいろな特徴がある。俗にいう「群集心理にかられる」という表現があるが、ひとたび、個人が群集の中にまき込まれてしまうと、いままでとはまったく異なった行動様式を示すようになる。
この行動様式は、ふつう、いつもは抑圧されたり、禁止されたりしているものが、ベールをはがしたように、表面にあらわれて、本能的感情そのままに行動するようなものであることが多い。たとえば、交番に向かって石を投げたり、競輪場でベンチに火をつけたりというような暴発的なものであったりする。
これは、群集という特異な集団は、なんら組織だったものではなく、ゆきずりの人たちが、ただ偶然に集まったにすぎぬ場合が多いので、自分の行動に責任をもたないばかりか、自分一人だけでないという心強さがてつだって、ふだんは抑圧されているものが理性を越えて、本能的行動にかりたててしまうのである。