2016年1月5日火曜日

民法ではなく税法によって、救済措置を用意すればいい

実際に扶養や介護のための費用負担でもめるのは、親に相続すべき資産があるときよりも、親になんの資産もない場合のほうが、うんと多いはずである。

そうした場合は、民法ではなく税法によって、救済措置を用意すればいい。具体的には、兄弟均等の原則を超えて負担した場合に限り、超過負担をした子に対して、その割合と期間に応じて算出した一定額を、本人の相続に際して相続税の課税対象から控除する、つまり免税額をふやす、という手法が考えられる。

親のためにあえて通常より重い負担をしたのだから、この程度のインセンティブを与えるのは、福祉のための財政負担の縮減を意図して在宅介護を推進する国としては、当然の措置だろう。

当事者間の契約か家庭裁判所の調停と死亡届のコピーさえあれば、簡単に事実を証明できるのだから、手続き的には簡単である。子にも相続税の対象になるだけの資産がなければ、その子つまり孫の代までを限度として免税特権を継承できることにすれば、相続と扶養・介護をめぐる合理性と公正は、ほぼ確保できるのではないか。

民法の大改正は当面最大の課題だが、これはあくまでも一例にすぎない。こうした法制上の混乱は無数に存在している。それらを徹底的に洗い出して一本の抜本改正法で一挙に整頓することは、掛け声倒れの「政治改革」や「行政改革」、あるいは「経済構造改革」とは比較にならないくらい、日本の社会を変える。日本人の意識も変える。

そして豊かさを獲得した反面でこれ以上成長する余地が乏しくなった日本という国を、オトナの分別と責任感を供えた成熟した国につくり変えていくうえで、重大な意義と効果を持つことになるだろう。


高齢者、超高齢者の介護は、あくまで個別の問題である。一般論や平均値にはなんの意味もない。経済的にも生活面でも、基本的には自力で対応できる超高齢者もいる。どちらか一方しかできないのもいる。どちらもできないのもいる。

資産家から素寒貧まで、寝たきりから達者な人まで、よくできた人から超エゴイストまで、の天地の開きの中で、背負わなければならないのはその中のただ一点に位置している。過去の親子関係や兄弟仲、嫁と姑・小姑との関係もハネ返ってくる。