2015年9月2日水曜日

いぴつな民間運動の表れ

北京の中堅大学に通う女子大生・Dによると、彼女が在籍する学校ではデモ参加禁止の通達が出され、教師が6・4天安門事件を引き合いに出して、「行かぬことをすすめます」などと学生たちに言ったらしい。「中国では1万人の村で5000人が殺されてもデモなんてできなかった。おもしろそうだし、見に行きたかったけど、なんだかこわくて」との彼女の言葉はある種の若者の心理を代弁していたのではなかろうか。かくなる心理が存在する中で晴れてデモに参加することができたなら、記念撮影したくなるのもわからぬではない。そして、隊列に加わった参加者全員が熱心なわけでもなかった。冷やかしも多数含まれ、熱心な参加者の何人かが拡声器で「スローガンを叫ばないなら中国人じゃない。遊んでるんじゃないんだ!」と怒鳴るのが頻繁に聞かれた。後日知ったことだが、この隊列にはぼくの友人が2人加わっていた。2人ともデモがどんなものかを見たいということだけが、参加理由だった。

中関村でパソコンを運搬する出稼ぎ労働者が「ほら、邪魔だ、邪魔だ」と叫びながら隊列を遮ったことが何度かあったが、そのたびに周囲では笑いが漏れた。反米デモの時であれば、笑った者も含めて袋叩きに遭ったかもしれない。ただし、何かがあれば、冷やかし層もみなが拍手し、ぼくの友人たちがそうだったように、熱心な参加者に怒られた時はスローガンを叫んだ。それは反日というよりはノリとでも言うべきものだろう。もちろん、本当に日本に対して怒っていた人もいたに違いない。しかし、その数はただでさえごく少数に過ぎなかったデモ参加者の全員ではなかった。日本の戦争責任について語るとしたら、怒っている人たちはむしろデモの蚊帳の外にいた。ぼくはトイレや食事の時を除いてずっと先頭集団に付いていたが、日本大使館前と大使公邸付近を除いて、日本人の姿はあまり見かけなかった。明らかに日本人だとわかったのは、沿道から遠巻きに眺めていた商社マンふうの白髪の紳士たちで、ぼくも含めて多数の撮影者が先頭付近を取り巻いたが、中国語か英語のネイティブスピーカーばかりだった。

反米デモの時、アメリカ人数人が先頭集団の近くにいて、デモ参加者が彼らを取り囲み、激しい議論が応酬される光景を目にしたが、反日デモではどうだったか。大使館街を離れてしばらく経った頃、先頭集団と向き合って撮影していたぼくの携帯電話が鳴った。日本からだった。反米デモの光景がよみがえり、さすがに日本語を話すのはどうかと思ったぼくは、10メートルほど後ずさりした。拡声器でスローガンが叫ばれるので周囲はうるさく、この程度の距離があれば話し声は聞こえないはずだった。電話は日本のテレビ局のバラエティ番組製作チームからだった。ぼくは、タレントが横浜中華街を訪ねる番組の監修をやっており、それに関連する電話だった。ロケ先にいた彼らは反日デモが起きていることをその時点で知らず、「パンダの尿の色は緑色ですか?」という場違いな質問をぼくにぶつけてきた。

パンダの尿のことなど知らないし、状況が状況だったから、しどろもどろの対応をせざるを得なかった。ふと、あたりを見ると、先ほどまでの喧騒はなかった。これからデモ隊の進む方向について相談している最中で、デモは小休止の状態だった。ぼくの声は丸聞こえであり、隊列の何人かがぼくを指さして「あれは日本人だ」と言うのが聞こえた。反日デモの空気が反米デモと明らかに異質だと悟ったのはその時だ。ぼくを指さした連中は、デモが再開されるとぼくのことなど忘れたように行進に夢中になった。彼らにとってその時のぼくは、デモ中の1つのアクセサリーでしかなかったのだろう。暴力はおろか、論戦を交わそうとはゆめにも思わなかったに違いない。それどころか、電話の鴫る前、ぼくは中国人参加者と間違われて「スローガンを吽べ」などと度々注意を受けたが、日本人と知られたことで怒らなくなった人がいたほどだ。あくまでぼくだけのケースかもしれないが、少なくとも反米デモの緊迫感の中では起こり得ないことだった。

評論家の劉樽は反日デモを民間運動だととらえたが、彼らの主張に日本への理解不足が目立ったことや、6・4天安門事件に自ら遭遇した経験と比べて、反日デモは党の黙認があったから実現したにすぎなかったことを見て、「民間の運動としては中途半端だった」と感想を述べた。サッカー「反日」は、日本に関しての目新しい意見よりも、昔から庶民感情として根深くあるアンチ日本を、サッカーの国際試合という政治とは無関係な場で表明できたところに意味があった。それがただひたすら日本に反感を持って起きたものではなかったことは、熱心な参加者の中に意外にも日本が嫌いでない者が含まれていたことからもわかる。サッカー騒動が起きた時、疑問に思ったのは、なぜほんの少し前に行われた大相撲中国公演の際に騒ぎが起きなかったかである。日本への嫌がらせという意味では、相撲ほど日本を象徴するスポーツはないわけだし、はるかに効果的だったのではないか。しかし、「反日」の参加者にこの疑問をぶつけても明解な回答は得られなかった。