2013年11月5日火曜日

地位を放棄する指導者

標高三〇〇〇メートルを超える、夏でも肌寒い峠であり、出席者全員が数時間はそこにいることになるので、当然トイレも設けられていた。こういう場合、近いところに王家用、そこから少し離れた遠いところに来賓用、と二つ設けられるのが常である。一人の参列者が儀典係にトイレはどこかと尋ね、係が来賓用のトイレに案内しようとしたところ、どこからともなく「近い方が空いているから、そちらに案内するように」という国王の声が聞こえてきた。わたしは、なんと観察が鋭く、気配りのある人かと、改めて思った。それは、治世者に必須の資格であると言えばそうであろうが、それを目の当たりにしたわたしは感動を禁じえなかった。

二〇〇六年にアメリカの『タイム』誌は、「その権力、能力、道徳的模範により世界を変えつつある人たち」一〇〇人を挙げたが、その中の「指導者と革命者」二二人の一人にブータン第四代国王ジクメーセングーワンチュックを数えている。そして、こうコメントしている。「一九九八年に絶対権力を放棄し、昨年国王解任を可能にする新憲法草案を全国民に配布したジクメ国王は、静かに革命的前例を作りつつある。大半の政治家は、権力掌握に貪欲であり、権力に固執するが故に潜在的に疑わしい。その中で、国民自身の必要を、自らのそれに優先させるかのように、自分から地位を放棄する指導者をどう評価すべきだろうか?」

第四代国王が名君であったかどうかといった政治的判断は抜きに、わたし自身が限られた範囲で見聞した国王自身の個人的な身の処し方から、一個人としての国王には尊敬と賞讃の念を禁じ得ない。一九八一年に国立図書館顧問として赴任した当初、国王を親しく知る機会もないままに、先入観から国王にたいしてむしろ否定的な印象を抱いたことを恥じる次第である。いずれにせよ、第四代国王の三四年に及んだ治世は、ほぼ国王親政であったといってもよく、その間のブータンの歩みと近代化は、実際のところ前述した国王の人柄、性格、信念の忠実な反映ということができる。次章でそのいくつかの具体的な側面を見てみることにする。

近代化・経済発展は、世界中の発展途上国にとって避けては通れない課題であるが、発展途上国が自発的に取り組むことはあまりなく、大半は先進国からの技術・資金援助のもとに、先進国のモデルを追随することになる。しかし、目標となる欧米的モデルは、当然のことながら、文化、宗教、社会といった人びとの生活の基本的な部分で、アジア・アフリカをはじめとする発展途上国のそれとは相容れなくはないにしても、歴史的にまったく異質なものである。それ故に近代化・経済発展が進むにつれ、様々な問題が生まれてくるのは必然であり、現に多くの発展途上国がそれに直面している。

欧米諸国以外で唯一先進国の仲間入りを果たした日本も、この観点からすれば例外ではなく、明治以来の「模範的」近代化、目覚ましい経済発展は、社会的・精神的な分野で様々な問題を生んでおり、その深刻さは、近代化・経済発展の成功度に比例していると言えるであろう。この点、最も遅れて近代化に着手した国の一つであるブータンは、多くの先輩発展途上国の例を他山の石として観察することができたが故に、同じ過ちを犯すことなく、弊害を最小限に止めるための措置を講ずることができた、と言える。