2014年4月17日木曜日

失業と飢えの恐怖

話を本筋に戻すと、いまや「ヒラの人たち」が、心中の不平不満・うらみつらみを心おきなく言動に表わすことができるのは、「いやなら辞めてくれ」と言われれば、「はい、辞めます」と言って、さっさと辞めればいいからである。「完全雇用」で人手は不足気味だから、探せばほかに職はいくらもあるし、あわてて職探しをせず、しばらくは社会保障にぶら下がって食いつなぐ手もある。そういう力関係の変化があるから、上役のほうも、「いやなら辞めてくれ」などとは、すぐには言いにくいかもしれない。

こうして、「失業と飢えの恐怖」の消滅は、「規律の終焉」をもたらす。すなわち、それまでは「恐怖」の「脅し」によって、かろうじて抑えつけられていた「ヒラの人たち」の不平不満・うらみつらみが、「脅し」が効かなくなった結果、もろに表面化する。それは、言わば「『ヒラの人たち』の反乱」だろう。

何年か前から、イギリスなど先進諸国が直面する諸困難について、「先進国病」ということがしきりに言われる。この先進国病の本質は、まさに「『ヒラの人たち』の反乱」にほかならないのではないかと考えられる。カールーマルクスはそれを「階級闘争」と呼び、みずからの経済学の中心に据えた。

その指摘は、まさに本質を衝いていた。共産主義の崩壊後、マルキシズムはあまりに過小評価されているのではないかという感じが、私にはしきりにする。なおアメリカについては、先進国病という言葉はあまり使われないが、人種問題もからんで、状況は似たようなものだろう。

「ヒラの人たち」は、企業にとっては、さらに社会全体から見ても、人体にたとえれば、「足腰」「手足」に相当し、「人の上に立つ人」は、「頭脳」に相当する。軍隊で言えば、「ヒラの人たち」は下士官・兵卒に相当し、「人の上に立つ人」は士官・佐官・将軍に相当する。かりに「頭脳」がいかに優秀でも、「足腰」「手足」がしっかりしていなければ、人体は動かないし、がりに将軍等がいかに優秀でも、下士官・兵士が頼りなくては、軍隊は戦えない。