2015年2月3日火曜日

大幅な金融緩和の効果

大幅な金融緩和の効果は大きかった。国債発行残高4兆7000億ドル(93年末)。うち民間保有分は3兆5000億ドル。地方債が1兆3000億ドル、合計では6兆ドルとほぼGDP並みの「負債を抱いた経済」で、金利が半分以下になったのである。金利が半分になれば、発行される債券その他の利子も下がる。ということは、金融緩和以前に保有していた債券の価値がその分上昇することでもある。その上昇分は、保有していた銀行等の金融機関に大きな利益をもたらし、あるいは投資信託を通じて個人を潤した。

当時、米銀はなお、S&L(貯蓄信用組合)問題が代表するような不動産貸付などの不良債権に悩まされていたが、こうした債券のキャピタル・ゲインはこれらを償却し、体質改善を進めるための原資ともなった。

また低金利は株式高騰をもたらして同じく保有者を潤したが、とくに企業は時価発行を拡大させた。資金を直接、間接に株式にふり向けてきたのは、低金利下で生計維持に腐心していた定年退職者などが中心になったものと見られ、株価は、ダウエ業株平均で88年末の2000ドルから93年末には2500ドルヘと上昇したのである。

こうして低金利によって点火され、いわば助走態勢に入ったアメリカ経済を、本格的に持ち上げることになったのがドル安である。ドルは80年代後半、プラザ合意を受けて大幅に下落したが、90年代に入っても低落は継続した。対円の下落がもっとも際立っていたが、アメリカの主要貿易相手国の通貨に対する変動を加重平均した実効為替レートで見ると、ドルは90年以降の変動だけを見ても、93年には約3%、95年秋には約5%下落している。この実効為替レートの変動は、一国のモノ部門の生産活動に直接影響を及ぼす要因となる。

まず、製造業関連のさまざまな指標の好転については、次のようなプロセスを通じてであったと考えられる。ドル安は、輸出価格の上昇をもたらし、あるいは輸出そのものを促進する。逆に貿易相手国は手取りを確保するために価格を引き上げるので、輸入に対しては防遇的効果を及ぼし、まず、これがアメリカの鉱工業生産の上昇を促す。実際、生産指数の上昇がとくに目立ったのは、産業用機械・設備、電気機械、輸送用機器・部品の三部門で、このメカニズムをよく示している。

鉱工業生産の上昇は、労働生産性の上昇にとって好ましい条件をつくりだす。生産性の算出に際して分子となっている付加価値生産額は、基本的に鉱工業生産と相伴って増大するからである。なおその際、分母となるのは総労働時間であるが、この減少にはリストラがおそらく影響していたであろう。

名目賃金を労働生産性で割ったものが単位労働コストだから、労働生産性が上昇すれば単位労働コストの安定につながる。そして単位労働コストの安定は、リストラに対する米国民の恐怖と引き替えに、コストーインフレの芽を摘むこととなり、ドル安による輸入価格の上昇傾向を相殺、抑制することにもなるだろう。

このように、アメリカ企業の努力の成果と見られがちな、90年代に入っての製造業部門の復権の背後では、ドル安が実際には大きな役割を演じている。国内外の経済活動をすべてドル・ベースで考えればよいアメリカに、ドル下落は「見えない補助金」をもたらし、これが経済をすみずみまで潤すのである。

また、アメリカは85年以降の経常赤字の累計からすると、対外純債務が95年末には実質1兆ドルを超えていると見られるわけだが、経常赤字は不安を伴いつつも、結局はファイナンスされる。こうして対外債務が増加してもそれがドル建てであるかぎり、アメリカはドル安により、結果としてその対外価値を減じてゆく。

巨額にのぼる為替による「補助金」を手にした製造業・モノづくり部門の好調は、マネー部門へと波及し、両者の好循環が生まれた。証券市場の上昇は94年以降ピッチを増し、ダウ平均は97年に入ると8200ドルにも到達した。こうした株価の高騰は、資産効果による消費の底上げ、企業の低コスト資金調達による設備投資の刺激などでモノづくり部門を支援したのである。