2012年6月20日水曜日

男女に関係なく、父性と母性の両方の要素をもっている

人間というのは、男女に関係なく、父性と母性の両方の要素をもっていて、その矛盾や対立の中で、全体としての人生をそれぞれに生きているわけです。

そうした対極的、理想的な要壽があるからこそ、生きることの意味も深まるのであって、そこが人間の心の不可思議なところであり、おもしろいところです。

したがって、カウンセラーとはいえ、母性原理で受容しているだけでいいというものではありません。ときには、父性原理を前面に出さざるをえない場合もあります。

日本人のカウンセラーには、そこの判断がうまくできない人が多いようですが、それは、母性的要素が強く、父性が弱いという日本の文化の特徴に由来しているように思われます。

父性と母性の対立と相補性とは、人間にとって大きい要素であり、私たちはこの両者を必要としつつ、生き方や考え方の上では、通常、どちらか一方に重心をかけています。

日本人は母性のほうに重心をかけていますが、西洋人では父性原理が強く、それは、キリスト教文化と無縁ではありません。ユダヤーキリスト教の神は、父性的性格の強い神と言われています。

西洋・東洋と父性・母性との関係についてはすでにいろいろなところで述べていますから、ここでは詳しくはくり返しませんが、西洋では強調された父性原理によって近代科学や個人主義が生まれてきました。

そこでは、自我の確立が重要な目標とされ、無意識の重要性を強調したフロイトも、その無意識を自我のコントロール下に置くことをめざしました。だから、フロイトの心理学は、父性原理のもとに築かれた心理学ということができます。

ところが、父性原理の強い西洋にあって、ユングは珍しく母性原理にも注目し、自我を超えて人間を全体として見ようとしました。

それは、彼が自ら体験した幻覚などが、自我によっては容易にコントロールできず、心を全体としてあつかわざるをえなかったのでしょう。

フロイトが父親との関係にこだわったのに対し、ユングは母親の存在を強く意識していたようで、そういう個人的な境遇とも関係があるかもしれません。