2012年6月20日水曜日

子どもが暴れたりするのにも父親の父性を鍛えようとしている面があります。

たとえば、家庭内暴力で子どもが暴れたりするのにも、父親の父性を鍛えようとしている面があります。そして、父親がそれにきちんとした父性でもって応えられないと、どんどんエスカレートしていきます。

もちろん、母親にも父性的要素はありますが、やはり子どもは父親にそれを期待します。だから、そういうときは父性が前面に出てきたほうがいいのですが、親のほうでその出し方がわからないために、家庭がおかしくなっているというケースが少なくありません。

ある中学生のクライエントが、「あの先生は嫌いだ」と言うから、その理由を尋ねたところ、「ぽくが悪いことをしているのに、いつも知らん顔して、ちっとも怒ってくれない」と言う。

彼はそういうことを友だちにも言っていたのですが、やがてそのことが相手の先生の耳にも入ったようで、次に彼が悪いことをしたとき、その先生は思いっきり怒ったらしい。

そのことをクライエントは私に話しつつ、「あの先生にどやされて、まいっちゃったよ」などと言いながらも、なんとなくせいせいした様子でした。

その先生が思いっきり怒ったのは、父性というものが輝いた一瞬だと思いますが、そうすると子どもは喜ぶのです。それを期待していたわけです。

そこを、見て見ぬふりをされたり、ニセものの受容をされたりするから、ますます腹が立ってくるのです。見方を変えれば、この先生は、その生徒によって父性を鍛えられたとも言えるわけです。