自衛隊の活動は、そこにいたらない「後方における活動」にとどまるものだとして、従来見解との整合性をたもとうとした。だが野党側は、多国籍軍の実態そのものが「武力による威嚇」であり、発動されれば「武力の行使」となる。そうである以上、一体・分離の可分論は意味をなさず、かりに武器・弾薬をはずしたとしても、武力行使と一体にならない輸送協力などありえない、と手をゆるめなかった。結局、国連平和協力法案は、野党すべての反対で採決できず廃案となった。しかし、ここで新たな憲法解釈に向けた小手調べが行われた。すなわち「日本が攻撃を受けていない状況と地域」における自衛隊活動についての新たな理論づけである。
そうした場合、「武力行使と一体となるような協力は行えない」としつつも「ただし、実戦部隊と一体化していないとみなされる後方支援は合憲である」という解釈が打ち出された。「現に戦闘が行われている地域への輸送は行えない」といいつつヽ「あらかじめ戦闘が行われないと見通される地域への後方支援は可能である」という解釈である。こうした解釈は、「武力行使」の定義に、地域的限定ないし時間的分割をもちこむ仕分け合憲論といわれるものだが、その翌年提出された「PKO協力法」に生かされることになる。それだけでなく、九七年に決定された「新ガイドライン」(日米防衛協力のための指針)にも採り入れられ、「周辺事態法」(一九九九年)や、後述する「テロ対策特別措置法」(二〇〇一年)、「イラク特措法」に受けつがれていくことになる。憲法解釈に穿たれた蟻の一穴は、みるみる大きくなった。
そこでPKO法案にもどると、法案提出にあたり、政府側は湾岸戦争協力法案の失敗をふまえて、自衛隊派遣の目的を「国連決議にもとづく平和維持活動」、任務は「復興支援業務」(道路補修と橋の架け替えなど)に限定した。それをささえる、五つの原則からなる「基本方針」がもうけられた。すなわち、紛争当事者の間で停戦の合意が成立している、紛争当事者がPKO受け入れに同意している、特定の立場に偏ることなく中立の立場を厳守する、上記原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、日本からの参加部隊は撤収できる、武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られる。
以上の「五原則」にもとづく歯どめをかけたうえで、日本のPKO参加がはじまった。肩書も「自衛官」でなく「国際平和協力業務」にしたがう「国際平和協力隊員」という別の名称が与えられた。かたちのうえでは別組織である。とはいえ一方で、「組織としての自衛隊の力を活用することが最適」との理由から、自衛隊員が「従前の官職を有したまま(協力)隊員に任用され」、また「派遣の必要がなくなった場合には、自衛隊に復帰するものとする」(PKO協力法第一二条)とされた。つまり帽子を二つにしただけで人間はおなじ。自衛隊と別組織といっても実質上は名目だけであった。
こうして一九九二年九月から一年間、第一次隊と二次隊の施設隊工兵)を中核とする各六〇〇人がカンボジアの土をふんだ。現地情勢は、ポルーポト派のパリ協定離脱表明により、条件維持に一時困難を生じたものの、政府は措置を適用せず、だから現地部隊に発動される事態にもいたらなかった。派遣部隊は道路補修を中断して、国民議会の総選挙を監視する各国監視員の安全確保と投票所の巡回にあたった。それらは活動計画にない任務だったので「道路偵察」の名目で実施された。期間中二人の死者(国連NGOボランティアの中田厚仁氏と文民警察である岡山県警の高田晴行警部補)を出したが、自衛隊員に死傷者はなかった。総選挙を円滑に行うための道路補修は予定どおり仕上げられた。
2015年1月6日火曜日
2014年12月2日火曜日
規制緩和を行なう必要性
これに対処するのに、政府がビジョンを描いたり、補助金を与えたりする必要はない。新しい活動は、民間の創意によって生まれるものだからだ。要は、それを阻む障害を除去することである。伝統的な形態の経済活動を保護するためにさまざまな規制が加えられているため、新しい技術の潜在力が発揮できない場合が多いのである。
とくに問題となるのは、料金規制と新規参入規制だ。ネットワークを用いれば飛躍的なコスト引き下げが可能になる。しかし、料金規制があれば、そのメリットは利用者に届かない。また、米国の実例にみられるように、ネットワークビジネスは、当該分野の既存企業が手がけるよりは、新規参入する部外者によって切り開かれる場合が多い。しかし、参入規制があれば、それが実現できない。
株式取引については、ネットワークの利用によって、手数料を従来の数分の一に引き下げることが可能となる。一で述べたように、米国では新規参入企業によるネットワーク取引がめざましい成長を遂げている。これに対して、日本では、これまで証券業は免許制で参入が自由でなく、また手数料も大口しか自由化されていなかったので、さほどの変化が生じなかった。
ただし、これについての状況は大きく変化している。免許制から登録制への移行はすでに実現している。また、九九年の秋には、手数料が完全に自由化される。これらによって、オンライン取引の条件が、日本でも整うだろう。しかし、その他の分野では、条件は必ずしも整っていない。ネットワーク取引を促進させるには、以下の分野を中心として、規制緩和を行なうことが必要だ。
書籍については、ネットワークを用いる通信販売によって、大幅なコスト引き下げが可能となる。このメリットを消費者に還元するには、再販制についての検討が必要だ。これについては、公正取引委員会が、「今世紀中に結論をうる」としている。最近の技術進歩を考慮し、このスケジュールを前倒しして検討を急ぐ必要があろう。
とくに問題となるのは、料金規制と新規参入規制だ。ネットワークを用いれば飛躍的なコスト引き下げが可能になる。しかし、料金規制があれば、そのメリットは利用者に届かない。また、米国の実例にみられるように、ネットワークビジネスは、当該分野の既存企業が手がけるよりは、新規参入する部外者によって切り開かれる場合が多い。しかし、参入規制があれば、それが実現できない。
株式取引については、ネットワークの利用によって、手数料を従来の数分の一に引き下げることが可能となる。一で述べたように、米国では新規参入企業によるネットワーク取引がめざましい成長を遂げている。これに対して、日本では、これまで証券業は免許制で参入が自由でなく、また手数料も大口しか自由化されていなかったので、さほどの変化が生じなかった。
ただし、これについての状況は大きく変化している。免許制から登録制への移行はすでに実現している。また、九九年の秋には、手数料が完全に自由化される。これらによって、オンライン取引の条件が、日本でも整うだろう。しかし、その他の分野では、条件は必ずしも整っていない。ネットワーク取引を促進させるには、以下の分野を中心として、規制緩和を行なうことが必要だ。
書籍については、ネットワークを用いる通信販売によって、大幅なコスト引き下げが可能となる。このメリットを消費者に還元するには、再販制についての検討が必要だ。これについては、公正取引委員会が、「今世紀中に結論をうる」としている。最近の技術進歩を考慮し、このスケジュールを前倒しして検討を急ぐ必要があろう。
2014年11月3日月曜日
日本道路公団職員の不具合
官僚は「通達」を勝手に出して、自分たちの利益に利用できる。道路サービス施設について「一括して同一の占用主体に占用を認めるものとする」とした六七年の道路局長通達は、まさにこのような官僚のツールとして使われたのである。財団・道路施設協会はこの通達で道路公団から「占用権」のお墨付きを得て、SAやPAの独占的事業に乗り出すが、その際二つの仕掛けが使われる。
一つは、同財団が日本道路公団職員の互助会だった「厚生会」の資本を元手に設立されたことだ。そして建設事務次官か国土庁事務次官が天下る道路公団総裁の退任後に、財団理事長のポストがあてがわれた。特殊法人・日本道路公団が「資本」と「役員」を送り込んで業務を独占する財団をつくり、利益を独り占めする構図ができ上がったのである。
もう一つの仕掛けは、同財団が、自ら出資した直系の子会社・関連会社とだけ随意契約して独占的利益を山分けしたことである。道路施設協会が先の二財団に分割される前の九七年当時、同協会の出資関連会社は実に六七社にも上った。このうち五八社の代表者が日本道路公団もしくは建設省出身者で占められ、深刻な不況にもかかわらず、独占的契約のおかげでわずか一社を除く六六社が経常利益を計上している(九六年三月期決算)。
つまり、日本道路公団が九三年以降、国庫(道路整備特別会計)からの補助金・出資金が急増大し、財投資金(郵貯、公的年金積立金、簡易生命保険積立金など)からの累積借金が当時二一兆円にも膨らんでいたのに、子会社ともいうべき道路施設協会とその関連会社は「不況どこ吹く風」とばかりに好景気を謳歌していた。特殊法人の経営は借金だらけで巨額の税金を注ぎ込んでいるのに、直系の財団とその関連会社は国民の与り知らないところで大いに潤っていたのである。
一つは、同財団が日本道路公団職員の互助会だった「厚生会」の資本を元手に設立されたことだ。そして建設事務次官か国土庁事務次官が天下る道路公団総裁の退任後に、財団理事長のポストがあてがわれた。特殊法人・日本道路公団が「資本」と「役員」を送り込んで業務を独占する財団をつくり、利益を独り占めする構図ができ上がったのである。
もう一つの仕掛けは、同財団が、自ら出資した直系の子会社・関連会社とだけ随意契約して独占的利益を山分けしたことである。道路施設協会が先の二財団に分割される前の九七年当時、同協会の出資関連会社は実に六七社にも上った。このうち五八社の代表者が日本道路公団もしくは建設省出身者で占められ、深刻な不況にもかかわらず、独占的契約のおかげでわずか一社を除く六六社が経常利益を計上している(九六年三月期決算)。
つまり、日本道路公団が九三年以降、国庫(道路整備特別会計)からの補助金・出資金が急増大し、財投資金(郵貯、公的年金積立金、簡易生命保険積立金など)からの累積借金が当時二一兆円にも膨らんでいたのに、子会社ともいうべき道路施設協会とその関連会社は「不況どこ吹く風」とばかりに好景気を謳歌していた。特殊法人の経営は借金だらけで巨額の税金を注ぎ込んでいるのに、直系の財団とその関連会社は国民の与り知らないところで大いに潤っていたのである。
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