私の初産と二度目のお産とを例にとってみると、二度とも陣痛促進剤の点滴を受けた。しかし受けたことは何も、問題ではない。陣痛促進剤の点滴誘導をするお産は珍しくないからである。しかしそのような場合でも、ほとんどの産科医や助産婦は陣痛微弱をきちんと認識しており、子宮口が全開大になる前(陣痛が本格的にくる前)から、産婦に「それいきめ、やれいきめ」といきませてはいけないことを、わかっている。早くから、無理やりいきめば、胎児に不必要な無理がかかり、産婦も力をつかい果たしてしまう。実際、二度目のお産で出会った助産婦たちは、十分研究しており、まったく問題は起こらなかった。
しかし、初産の時は、最初からやみくもに「ウーン、ウーン」といきませられ、陣痛促進剤も両腕から点滴した。長い目茶苦茶な陣痛との格闘のすえようやくおそって来た本格的な陣痛に、本当は私かここで腹圧を加えて、細い軟産道に入ったわが子を早く押し出し、酸欠状態から解放してやらねばならなかったのに、疲労しきった私の身体はどうにもそれをしてやることができなかった。結局、午前九時からいきむこと六時間、午後三時過ぎ、吸引分娩装置の助けによってようやくお産を終えた。これなどは、勉強不足の産科医と助産婦が引き起こした人工難産だといえる。
あの時、私かもっとよく、「産んだ人」から自分が「産む気」で、お産のいろんなことを聞いていたら、しっかりお産の本質をみきわめ、本質に従って産む側からよく調べていたら、たとえあのような助産者たちに出会っても、もう少し自衛することができたのではないかと悔やまれる。長男を泣き声も出せないほどの状態に、追い込みはしなかっただろう。
いまなら、私は子どもたちにしっかりと心身両面から伝えてやれる。「お産ていうのは、こうなって、ああなって、こういう生理機構にもとづいて始まるのよ。それに合わせてその時はこのようにしていれば自然に乗り越えられるし、いきまずにいられなくなったら、それは、胎児がこうなっている時なんだから、まずがまんする。なるべく力をためておいてそれでがまんできなくなったら、その時は子宮口が開いて赤ちゃんも一刻も早く外へ出たがっている時だから、こうして全力をあげていきむのよ。それまで力を使っちゃだめよ」などと、微に入り細にわたって相手が頭の中にお産をイメージできるまで、知っていることはすべて伝えられる。
だから、私は、産婦がお産知識を持たない方がよいという考えには賛成できない。自分で真の出産の姿が心の中にイメージできるまで、しっかり調べた方がいい。誰がいなくても、一人ででもお産をできるくらい知っておきたい。そして、可能な限り危険回避の努力は続けたい。私と子どもと二人の生命がかかっているのだから。お産は、夫の出産への参加が産婦にとって有効であることは、もういまでは常識だと思うが、改めてその効用を説明したい。
2012年12月25日火曜日
2012年9月12日水曜日
カウンセラーは母性と父性の両方の役割が必要
カウンセラーは母性と父性の両方の役割をそなえていないとできませんから、西洋のカウンセラーたちは、日本人とは逆に母性の習得に努力していますが、やはり男女で多少の違いはあるようです。
まず受容するところからはじめる場合には、カウンセリングの最初のころは、女性のほうが向いているかもしれません。ただ、女性がインテリジェンスを研ぎすますと、むしろ母性を忌避する傾向があります。
頭のいい女性ほどその傾向が強いようですが、クライエントの理性も感情も引っくるめた全体に対処しなければなりませんから、あまり理性にかたよりすぎるといいカウンセリングは望めません。
要は、本気でやっているかどうかだと思います。親、教師、カウンセラーなどが本気で取り組んでいるかどうかは、子ども、生徒、クライェントたちは敏感に察知します。
ごまかしはききません。そして、本気でやっている限り、そうとうに厳しくやっても通るものです。そういう中で、親も教師もカウンセラーも、つねに自分自身を訓練していく必要があるでしよう。
まず受容するところからはじめる場合には、カウンセリングの最初のころは、女性のほうが向いているかもしれません。ただ、女性がインテリジェンスを研ぎすますと、むしろ母性を忌避する傾向があります。
頭のいい女性ほどその傾向が強いようですが、クライエントの理性も感情も引っくるめた全体に対処しなければなりませんから、あまり理性にかたよりすぎるといいカウンセリングは望めません。
要は、本気でやっているかどうかだと思います。親、教師、カウンセラーなどが本気で取り組んでいるかどうかは、子ども、生徒、クライェントたちは敏感に察知します。
ごまかしはききません。そして、本気でやっている限り、そうとうに厳しくやっても通るものです。そういう中で、親も教師もカウンセラーも、つねに自分自身を訓練していく必要があるでしよう。
2012年8月23日木曜日
「拉致問題」を正常化交渉の条件
これは、二つの面で正しい判断であった。まず、政治家の合意はあくまでも民間人による合意である。政府がそのまま受け入れるべきではない。もし、条件や留保も付けずに受け入れると、政治家の合意に日本政府が従っているとの誤解を与えることになる。第二に、正常化を急いでいるのは北朝鮮側である。そうなら、交渉再開に条件を付けるべきは日本側であって北朝鮮側ではないのだから、自らの交渉カードを交渉前に捨てるべきではない。特に、日本人拉致問題の解決にはこうしだカードがないと交渉にもならないのである。
こうして、A課長はいつのまにか「拉致問題で、国民の納得を得られる何らかの前進」を、事実上の条件として北朝鮮側に示したのだった。北朝鮮側の担当者は、日本の政治家に連絡を取り「A課長が交渉再開を妨害している」と、泣きついた。これを聞いた日本の政治家は「A課長は、政治家がやるべきことに手を出している」との不満を表明した、との話が流れたことがあった。また、北朝鮮側はA課長を「日朝正常化交渉再開」の最大の障害と非公式に非難したりした。
ともかく、A課長は「拉致問題をないがしろにしたら、日本外交は国民の信頼を失う」との判断と、「公にすることで家族が殺されることも覚悟している以上、それに応えなければならない」との考えで、「条件付きの交渉再開」に外交の向きを変えたのであった。しかし、その後の展開ではA課長が願った「日本外交の使命」と「国民の信頼」よりは、早期の正常化交渉再開という政治的な意向が優先されたように見える。ただ、北朝鮮側も完全な無条件再開とはいかず、「行方不明日本人の再調査」を約束せざるを得なかった。
この北東アジア課長が、「拉致問題」を正常化交渉の事実上の条件にした背景には、日本の外交官の気概があった。「日本政府への国民の信頼」がかかっていると判断したのは、実は大変な決断であった。政府が国民の命を守る意思を見せないと、日本政府への国民の信頼は失われる。しかし、この外交官の気概を実現するのは、並大抵のことではない。統一戦線部にとっては、最も困る相手になるからだ。また、日本の政治家の中にも北朝鮮の言い分を認める政治家も少なくなかった。
こうして、A課長はいつのまにか「拉致問題で、国民の納得を得られる何らかの前進」を、事実上の条件として北朝鮮側に示したのだった。北朝鮮側の担当者は、日本の政治家に連絡を取り「A課長が交渉再開を妨害している」と、泣きついた。これを聞いた日本の政治家は「A課長は、政治家がやるべきことに手を出している」との不満を表明した、との話が流れたことがあった。また、北朝鮮側はA課長を「日朝正常化交渉再開」の最大の障害と非公式に非難したりした。
ともかく、A課長は「拉致問題をないがしろにしたら、日本外交は国民の信頼を失う」との判断と、「公にすることで家族が殺されることも覚悟している以上、それに応えなければならない」との考えで、「条件付きの交渉再開」に外交の向きを変えたのであった。しかし、その後の展開ではA課長が願った「日本外交の使命」と「国民の信頼」よりは、早期の正常化交渉再開という政治的な意向が優先されたように見える。ただ、北朝鮮側も完全な無条件再開とはいかず、「行方不明日本人の再調査」を約束せざるを得なかった。
この北東アジア課長が、「拉致問題」を正常化交渉の事実上の条件にした背景には、日本の外交官の気概があった。「日本政府への国民の信頼」がかかっていると判断したのは、実は大変な決断であった。政府が国民の命を守る意思を見せないと、日本政府への国民の信頼は失われる。しかし、この外交官の気概を実現するのは、並大抵のことではない。統一戦線部にとっては、最も困る相手になるからだ。また、日本の政治家の中にも北朝鮮の言い分を認める政治家も少なくなかった。
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